「ひかりつけ」とは?
「ひかりつける」と言う技法がある。

礎石のカタチに木を添わせて削りつける仕事の事を言う!ここでは三方からひかりつけている!

礎石のカタチに木を添わせて削りつける仕事の事を言う!ここでは三方からひかりつけている!
横浜本牧三渓園。
園内には日本各地から移設された寺社仏閣が配置されている。
今回はそれらの足元を見てみたい。
日本古来の建築において、基礎は「独立基礎」が基本。

自然石を地面に据え、その礎石の上面のカタチに添わせて木を削る。

この柱は上部と一本に見える。
つまり長い柱のまま下まで伸ばし、設置面を削って石に合わせたようだ。
大変な仕事なのだが、強い意思とともに工人の喜び(楽しみ?)、も垣間見えるさりげない仕事である!

木部に修理痕が見える。
設置部分が腐ったため、新材を造って嵌め込んだのか?

削ってはあわせ、をくり返し、何度ひっくり返してみたことか・・・そんなことは知らんぷりの見事なひかりつけ。
美しいケシキ。

これはまいった!
うっすら削っている。・・・やるなおぬし!
気がつかないと思ったら大間違い。
ちゃんと見てるさ!w
ーーーご案内ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
三渓園で行われます 【日本の夏じたく 展 】に私も参加いたします。鶴翔閣にてお待ち申し上げます。
会期:2015年 5月21日(木)~ 24日(日)
時間:21日 13:00~16:30
22・23・24日 10:00~16:30
会場:横浜本牧 三渓園 鶴翔閣他。
日本の夏じたく展 FBページ(リンク)
園内には日本各地から移設された寺社仏閣が配置されている。
今回はそれらの足元を見てみたい。
日本古来の建築において、基礎は「独立基礎」が基本。

自然石を地面に据え、その礎石の上面のカタチに添わせて木を削る。

この柱は上部と一本に見える。
つまり長い柱のまま下まで伸ばし、設置面を削って石に合わせたようだ。
大変な仕事なのだが、強い意思とともに工人の喜び(楽しみ?)、も垣間見えるさりげない仕事である!

木部に修理痕が見える。
設置部分が腐ったため、新材を造って嵌め込んだのか?

削ってはあわせ、をくり返し、何度ひっくり返してみたことか・・・そんなことは知らんぷりの見事なひかりつけ。
美しいケシキ。

これはまいった!
うっすら削っている。・・・やるなおぬし!
気がつかないと思ったら大間違い。
ちゃんと見てるさ!w
ーーーご案内ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
三渓園で行われます 【日本の夏じたく 展 】に私も参加いたします。鶴翔閣にてお待ち申し上げます。
会期:2015年 5月21日(木)~ 24日(日)
時間:21日 13:00~16:30
22・23・24日 10:00~16:30
会場:横浜本牧 三渓園 鶴翔閣他。
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- | 2015-03-06 11:28 |
- お勉強!
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三渓園の石灯籠!
横浜本牧「三渓園」には、寺社仏閣などの素晴らしい建物が、日本各地から移設されていることは良く知られているが、石造物もまた、素晴らしい優品がたくさんある。

これはその中の一つ「石灯篭」

これはその中の一つ「石灯篭」
山野を模して再現された擬似自然の風景の中に配された人工物の存在により、その空間は意味を持ち、一気に質量を増す。

うがたれた穴。
手前は方形、向こう側は丸。

中層が欠落しているのか?
二重の屋根が、ありえない造形物としてそこに在る。
屋根のそり具合が武士の荒々しさを思わせる野太い石灯籠。
光をともす装置としての灯篭の域を超えてそれはそこに存在する。

こちらは宝珠が無い。
石灯籠の完成形からは遠くなっているが、かえってこれが祖形かと思わせるだけの骨格がそこにはある!

この蹲?・・・よい!・・・実に好ましい!
三渓園、園内に配されたさりげない構築物、そしてそれを組み合わせ、配置していった原三渓と工人たち。
自然を・・・見取り、己のものとし、表現していった。
ここで注目すべきは、その中心であった稀代の目利きで大スポンサーであった原三渓のことではない。
その彼の手足になって、あるいは意見を進言したかもしれない名も無き工人たちのこと。
大工・石工・庭師・・・様々な職方がいなければとうていあれだけの大工事をなすことは出来ない。
発注者・・・つまり、クライアントの意を汲み、実制作をする(出来る)とは、どういうことか。
「ここで月が見えたら楽しいな~!」・・・とクライアントが言った時、そこに「月見台」を作る、月光を反射させる白砂を敷き詰める・・・などなど、細部にわたってすべてクライアントが指示できるわけがない。
風雅を解し、具体化できる術を持つ集団がそこには確かに存在する。
クライアントと共に「月を愛で」「風と遊ぶ」感性が無ければとても出来うる仕事ではないのだと思う。
そして、出来上がったときの喜びもまた、想像できる気がするのです。
佳きクライアントに恵まれた工人に幸あれ!
ーーーご案内ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【日本の夏じたく 展 】に私も参加いたします。鶴翔閣にてお待ち申し上げます。
会期:2015年 5月21日(木)~ 24日(日)
時間:21日 13:00~16:30
22・23・24日 10:00~16:30
会場:横浜本牧 三渓園 鶴翔閣他。
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うがたれた穴。
手前は方形、向こう側は丸。

中層が欠落しているのか?
二重の屋根が、ありえない造形物としてそこに在る。
屋根のそり具合が武士の荒々しさを思わせる野太い石灯籠。
光をともす装置としての灯篭の域を超えてそれはそこに存在する。

こちらは宝珠が無い。
石灯籠の完成形からは遠くなっているが、かえってこれが祖形かと思わせるだけの骨格がそこにはある!

この蹲?・・・よい!・・・実に好ましい!
三渓園、園内に配されたさりげない構築物、そしてそれを組み合わせ、配置していった原三渓と工人たち。
自然を・・・見取り、己のものとし、表現していった。
ここで注目すべきは、その中心であった稀代の目利きで大スポンサーであった原三渓のことではない。
その彼の手足になって、あるいは意見を進言したかもしれない名も無き工人たちのこと。
大工・石工・庭師・・・様々な職方がいなければとうていあれだけの大工事をなすことは出来ない。
発注者・・・つまり、クライアントの意を汲み、実制作をする(出来る)とは、どういうことか。
「ここで月が見えたら楽しいな~!」・・・とクライアントが言った時、そこに「月見台」を作る、月光を反射させる白砂を敷き詰める・・・などなど、細部にわたってすべてクライアントが指示できるわけがない。
風雅を解し、具体化できる術を持つ集団がそこには確かに存在する。
クライアントと共に「月を愛で」「風と遊ぶ」感性が無ければとても出来うる仕事ではないのだと思う。
そして、出来上がったときの喜びもまた、想像できる気がするのです。
佳きクライアントに恵まれた工人に幸あれ!
ーーーご案内ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【日本の夏じたく 展 】に私も参加いたします。鶴翔閣にてお待ち申し上げます。
会期:2015年 5月21日(木)~ 24日(日)
時間:21日 13:00~16:30
22・23・24日 10:00~16:30
会場:横浜本牧 三渓園 鶴翔閣他。
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- | 2015-03-03 18:33 |
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「秋岡芳夫展」最終日に駆け込む!
「ショーロクラブ」の秋岡欧氏とばったり出会ったのは秋岡芳夫展会場!・・・そうなのです欧(おう)さんは秋岡先生のご子息なのです!

無理を言って写真を撮らせていただきました。

無理を言って写真を撮らせていただきました。
「秋岡芳夫展」最終日に行ってまいりました。
目黒区立美術館に着き、チケットを買おうとしていた私の目に入ったのは誰あろう秋岡欧さん、息子さんです。
先日FB上にて秋岡欧さんのお名前を発見し、お友達になっていただいたばかりでした。
でも、欧さんと初めて出会ったのはもうかなり昔。
私の古くからの友人でブラジル人音楽家ジョゼ・ピニェイロが日本でのライブでいつも組むのが日本人ラテン音楽の第一人者「ショーロクラブ」そのメンバーのお一人が秋岡欧さんでした。
そんな出会いでしたが、ある時、何のタイミングが忘れましたが欧さんが“あの”秋岡芳夫先生のご子息だと知り、いたく感激したことを覚えています。
多分二十年以上前になると思いますが、当時我々物造りにとって大きな存在として秋岡芳夫先生が居られました。
それはただ単に優れたデザイナーとしての活動に留まらず、製作の現場と消費の現場を一直線で繋ぐ事であったりもしました。
ロクロ技術の残っていた大野村に於ける給食食器の製作など、多くの実践として記録されています。
秋岡先生の業績は語りつくせぬほどあるのですが、この時代において、健康な回路、つまり、造り手と使い手とを「見える関係性」として再構築したことを記しておきましょう。
資本主義経済社会において、収奪の手先となるデザイナーという職業をもう一度市民の側から読み返しをした人でもあると私は解釈しています。
十三回忌を済ませた今、日本はようやく「秋岡芳夫展」として氏の全貌を見ることが出来たことは素晴らしい経験でした。企画された皆様に感謝申し上げます。
ということで、最終日に駆けつけた私は、帰り際、秋岡欧氏に礼を言いつつ「この目黒区立美術館に降旗さんというキュレーターがいると思うのだけれどご存知ですか?」と尋ねると「今展の企画者です!」・・・・え~!!”!
そうだったんですか。・・・深く納得。
そして欧さんはわざわざ降旗さんを探しに行き、私にご紹介くださいました。
私「実は昔お会いしています、青の展覧会のときに」・・・降旗さん「1992年ですね!」・・・お~!
『色の博物誌・青──永遠なる魅力』・・・この展覧会をキュレーションしたのが降旗千賀子さんでした。
「青」というキーワードで括ったこの展覧会。
現代美術作家イブ・クラインの青い人体もあれば、藍染め、染付け、青磁などの工芸も同じ会場に並ぶという画期的な企画。
キュレーターという名前もまだ確立していないこの時期のこの展覧会はかなりの衝撃で業界にショックを与えたのでした。
アート作品そのものを鑑賞するという旧来の「見方」から、「切り取り方」そのものが主役になったという点で、日本では最初期の実践だったと記憶しています。
この「色による企画」はその後目黒区立美術館の看板企画として続きます。(文末に記載!)
この展覧会に感動した私は知人の木原ゆり子さんとその話をしておりましたら、木原さんは「キュレーターが知人である」と言うことで、急遽、目黒区立美術館を再訪したのでした。
そして、降旗さんにご紹介いただき、氏自らのご案内をいただいたのでした。
あれからもう19年ですか。
降旗さんと木原さんのご縁のきっかけは写真家の故原田正路先生であったこともお話の中で判り、またまた驚いたのでした。原田先生もまた、私の人生にとってかけがえの無い師であるのです。
この日、秋岡欧氏、降旗千賀子氏、まったく違う存在が繋がった稀有な一日となったのでした。
改めて秋岡芳夫先生のご冥福をお祈りいたします。
そして一言、私は「秋岡芳夫展」の巡回展を強く望みます。
今こそ秋岡芳夫先生の思想が若き物造りに重要なメッセージを与えてくれると信じます。

ーーー以下、ご参考までーーーーーーーーーーーーーーーー
コダック株式会社(社長:堀 義和)は、自社のコーポレートカラーとして、世界的に親しまれ、認知を得ている黄色をモチーフにした企画展となる目黒区美術館が主催する「色の博物誌・黄-地の力&空(くう)の力」(7月14日~9月8日、同美術館にて開催)に協賛します。
「色の博物誌・黄-地の力&空の力」は、目黒区美術館が1992年以来、人と色の関わりを“色材”からとらえる「色の博物誌」シリーズとして企画、開催する企画展です。「青」(1992年)から始まったこの企画展が「赤」(1994年)、「白と黒」(1998年)、「緑」(2001年)と回を重ね、今企画展「黄」が基本色としてシリーズ最終回となるものです。
同企画展は、「黄色の力」「黄色の意味と価値」「素材の文化史」の3部構成で、黄色の色材を大地から生まれた物質の“地の力”として、また天からの光の象徴である“空の力”として表現されるほか、絵具、染色など自然が産出し、人間が見つけた黄色を提示するなど、黄色と人の関係を問い、魅力的な黄色の世界をひも解いていくという内容です。また、企画展開催に伴い、スライドレクチャーほか、様々なワークショップも併設され、黄色の持つ魅力を余すことなく伝えます。
「色の博物誌・黄-地の力&空の光」開催概要
■ 開催時期 2004年7月17日(土)~9月8日(水)
月曜休館 ただし7月19日(祝・月)開館、7月20日(火)休館
■ 開館時間 午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで)
■ 会 場 目黒区美術館
〒153-0063 東京都目黒区目黒2-4-36
TEL:03-3714-1201
URL:http://www.mmat.jp
■ 主 催 目黒区美術館
■ 助 成 財団法人地域創造、芸術文化振興基金
■ 協 賛 コダック株式会社
■ 観 覧 料 一般:600円(500円)、大高生・65歳以上:400円(300円)、
中小生無料 *( )内は団体料金、身障者は半額
目黒区立美術館に着き、チケットを買おうとしていた私の目に入ったのは誰あろう秋岡欧さん、息子さんです。
先日FB上にて秋岡欧さんのお名前を発見し、お友達になっていただいたばかりでした。
でも、欧さんと初めて出会ったのはもうかなり昔。
私の古くからの友人でブラジル人音楽家ジョゼ・ピニェイロが日本でのライブでいつも組むのが日本人ラテン音楽の第一人者「ショーロクラブ」そのメンバーのお一人が秋岡欧さんでした。
そんな出会いでしたが、ある時、何のタイミングが忘れましたが欧さんが“あの”秋岡芳夫先生のご子息だと知り、いたく感激したことを覚えています。
多分二十年以上前になると思いますが、当時我々物造りにとって大きな存在として秋岡芳夫先生が居られました。
それはただ単に優れたデザイナーとしての活動に留まらず、製作の現場と消費の現場を一直線で繋ぐ事であったりもしました。
ロクロ技術の残っていた大野村に於ける給食食器の製作など、多くの実践として記録されています。
秋岡先生の業績は語りつくせぬほどあるのですが、この時代において、健康な回路、つまり、造り手と使い手とを「見える関係性」として再構築したことを記しておきましょう。
資本主義経済社会において、収奪の手先となるデザイナーという職業をもう一度市民の側から読み返しをした人でもあると私は解釈しています。
十三回忌を済ませた今、日本はようやく「秋岡芳夫展」として氏の全貌を見ることが出来たことは素晴らしい経験でした。企画された皆様に感謝申し上げます。
ということで、最終日に駆けつけた私は、帰り際、秋岡欧氏に礼を言いつつ「この目黒区立美術館に降旗さんというキュレーターがいると思うのだけれどご存知ですか?」と尋ねると「今展の企画者です!」・・・・え~!!”!
そうだったんですか。・・・深く納得。
そして欧さんはわざわざ降旗さんを探しに行き、私にご紹介くださいました。
私「実は昔お会いしています、青の展覧会のときに」・・・降旗さん「1992年ですね!」・・・お~!
『色の博物誌・青──永遠なる魅力』・・・この展覧会をキュレーションしたのが降旗千賀子さんでした。
「青」というキーワードで括ったこの展覧会。
現代美術作家イブ・クラインの青い人体もあれば、藍染め、染付け、青磁などの工芸も同じ会場に並ぶという画期的な企画。
キュレーターという名前もまだ確立していないこの時期のこの展覧会はかなりの衝撃で業界にショックを与えたのでした。
アート作品そのものを鑑賞するという旧来の「見方」から、「切り取り方」そのものが主役になったという点で、日本では最初期の実践だったと記憶しています。
この「色による企画」はその後目黒区立美術館の看板企画として続きます。(文末に記載!)
この展覧会に感動した私は知人の木原ゆり子さんとその話をしておりましたら、木原さんは「キュレーターが知人である」と言うことで、急遽、目黒区立美術館を再訪したのでした。
そして、降旗さんにご紹介いただき、氏自らのご案内をいただいたのでした。
あれからもう19年ですか。
降旗さんと木原さんのご縁のきっかけは写真家の故原田正路先生であったこともお話の中で判り、またまた驚いたのでした。原田先生もまた、私の人生にとってかけがえの無い師であるのです。
この日、秋岡欧氏、降旗千賀子氏、まったく違う存在が繋がった稀有な一日となったのでした。
改めて秋岡芳夫先生のご冥福をお祈りいたします。
そして一言、私は「秋岡芳夫展」の巡回展を強く望みます。
今こそ秋岡芳夫先生の思想が若き物造りに重要なメッセージを与えてくれると信じます。

ーーー以下、ご参考までーーーーーーーーーーーーーーーー
コダック株式会社(社長:堀 義和)は、自社のコーポレートカラーとして、世界的に親しまれ、認知を得ている黄色をモチーフにした企画展となる目黒区美術館が主催する「色の博物誌・黄-地の力&空(くう)の力」(7月14日~9月8日、同美術館にて開催)に協賛します。
「色の博物誌・黄-地の力&空の力」は、目黒区美術館が1992年以来、人と色の関わりを“色材”からとらえる「色の博物誌」シリーズとして企画、開催する企画展です。「青」(1992年)から始まったこの企画展が「赤」(1994年)、「白と黒」(1998年)、「緑」(2001年)と回を重ね、今企画展「黄」が基本色としてシリーズ最終回となるものです。
同企画展は、「黄色の力」「黄色の意味と価値」「素材の文化史」の3部構成で、黄色の色材を大地から生まれた物質の“地の力”として、また天からの光の象徴である“空の力”として表現されるほか、絵具、染色など自然が産出し、人間が見つけた黄色を提示するなど、黄色と人の関係を問い、魅力的な黄色の世界をひも解いていくという内容です。また、企画展開催に伴い、スライドレクチャーほか、様々なワークショップも併設され、黄色の持つ魅力を余すことなく伝えます。
「色の博物誌・黄-地の力&空の光」開催概要
■ 開催時期 2004年7月17日(土)~9月8日(水)
月曜休館 ただし7月19日(祝・月)開館、7月20日(火)休館
■ 開館時間 午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで)
■ 会 場 目黒区美術館
〒153-0063 東京都目黒区目黒2-4-36
TEL:03-3714-1201
URL:http://www.mmat.jp
■ 主 催 目黒区美術館
■ 助 成 財団法人地域創造、芸術文化振興基金
■ 協 賛 コダック株式会社
■ 観 覧 料 一般:600円(500円)、大高生・65歳以上:400円(300円)、
中小生無料 *( )内は団体料金、身障者は半額
- | 2011-12-29 12:06 |
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「青銅文化」を買いました!
東京国立博物館の売店です。

で、何かというと?

で、何かというと?
トランプです。

それも絵柄が「中国古代青銅器」の逸品!

上段に「器物の名称」とその「(発音)」
下段に「制作年代」とその「用途」
実に便利です。
別にトランプをしたかった訳ではないのですが!

さすがジョーカーには名品が!





青銅器マニアにはたまらないこのトランプ、ナント300円です!
他に「金文」「甲骨文」の本も買ってしまった。
拓本も売っていて「王ようじゅん」の書が凄く良くて、欲しかった~!
東京国立博物館、平成館で開催中の「誕生!中国文明展」に急げ!~9月5日。
展覧会、素晴らしかったです。
炎天下上野公園を東博まで歩くのが死にそうですが、そのためか観客は少なく、ゆっくりじっくり鑑賞することが出来ました。
僕の大好きな「夏」から「商(殷)」「西周」「春秋」「戦国」に至る中国古代青銅器の流れが一望できます。
僕が学生の頃は「殷周銅器」という括りで呼んでいましたね。
根津美術館・泉屋博古館で食い入るように見ていました。
あの骨格は何処から来るのだ?・・・・初めて出逢ったのが(認識したのが)21歳でしたので、もう27年もあこがれているのでした。
いまだ足元にも及ばないが、届きたいところは見えた気がする!(ホントか?)

それも絵柄が「中国古代青銅器」の逸品!

上段に「器物の名称」とその「(発音)」
下段に「制作年代」とその「用途」
実に便利です。
別にトランプをしたかった訳ではないのですが!

さすがジョーカーには名品が!





青銅器マニアにはたまらないこのトランプ、ナント300円です!
他に「金文」「甲骨文」の本も買ってしまった。
拓本も売っていて「王ようじゅん」の書が凄く良くて、欲しかった~!
東京国立博物館、平成館で開催中の「誕生!中国文明展」に急げ!~9月5日。
展覧会、素晴らしかったです。
炎天下上野公園を東博まで歩くのが死にそうですが、そのためか観客は少なく、ゆっくりじっくり鑑賞することが出来ました。
僕の大好きな「夏」から「商(殷)」「西周」「春秋」「戦国」に至る中国古代青銅器の流れが一望できます。
僕が学生の頃は「殷周銅器」という括りで呼んでいましたね。
根津美術館・泉屋博古館で食い入るように見ていました。
あの骨格は何処から来るのだ?・・・・初めて出逢ったのが(認識したのが)21歳でしたので、もう27年もあこがれているのでした。
いまだ足元にも及ばないが、届きたいところは見えた気がする!(ホントか?)
- | 2010-08-08 16:47 |
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「細川家の至宝」永青文庫コレクション・・・は凄かった!
東京国立博物館 平成館 での展覧会に行ってきました。

パンフレットにあるこの「鏡」が見たかったのです。

パンフレットにあるこの「鏡」が見たかったのです。
【国宝 金銀錯狩猟文鏡 中国河南省洛陽金村出土 中国/戦国時代・前4~前3世紀】

この獣文、唐草文のような螺旋のような!・・・殷・周からの記憶なのかな?・・・何と言ってもこの螺旋が良い!・・・螺旋!!
前から永青文庫之のコレクションとして知っていたので一度はみたいと濃い焦がれていたのです。

そしてもう一点、強く心を惹かれたのがこれ。
【重要文化財 白釉黒掻落牡丹文瓶 磁州窯 中国/北宋時代・11~12世紀】
なんとも美しい瓶子、骨格のある造形ながら、掻き落としの柔らかなマチエールにより、とても魅力的で身近なものとして感じられました。
しかし、中国のものの骨格って凄いな~!
大変なコレクションでした。
これが細川家という武家の一系統に伝わったものというのが凄いと言うか、どうして?と言うか、この前の戦争で日本は無条件降伏したはずだったのに、・・・何故この家には700年前から伝わる総数八万点ものお宝が残ったのだろう?・・・謎だ!
まあ、経緯はともかく、古美術から絵画、刀剣、陶磁器、果ては宮本武蔵の絵画まで、頭が混乱するほどの量と質。
あ~眼福眼福、ご馳走様でした!

この獣文、唐草文のような螺旋のような!・・・殷・周からの記憶なのかな?・・・何と言ってもこの螺旋が良い!・・・螺旋!!
前から永青文庫之のコレクションとして知っていたので一度はみたいと濃い焦がれていたのです。

そしてもう一点、強く心を惹かれたのがこれ。
【重要文化財 白釉黒掻落牡丹文瓶 磁州窯 中国/北宋時代・11~12世紀】
なんとも美しい瓶子、骨格のある造形ながら、掻き落としの柔らかなマチエールにより、とても魅力的で身近なものとして感じられました。
しかし、中国のものの骨格って凄いな~!
大変なコレクションでした。
これが細川家という武家の一系統に伝わったものというのが凄いと言うか、どうして?と言うか、この前の戦争で日本は無条件降伏したはずだったのに、・・・何故この家には700年前から伝わる総数八万点ものお宝が残ったのだろう?・・・謎だ!
まあ、経緯はともかく、古美術から絵画、刀剣、陶磁器、果ては宮本武蔵の絵画まで、頭が混乱するほどの量と質。
あ~眼福眼福、ご馳走様でした!
- | 2010-05-16 00:05 |
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