








白洲正子さんをして「杓子の王者」と言わしめた「有道杓子(ウトウシャクシ)のことをテレビで見ました。
今から36年ほど前、私は横浜元町での家具修業を終え、独立前のひととき、失業保険を受けながら藤沢在住の木漆工芸家 甘粕憲正氏の元で漆芸を学びました。家具の仕上げとしての摺り漆です。
その甘糟工房へ時々遊びにいらしたのが漆芸家の関野晃平さんでした。
人間国宝 黒田辰秋 氏の一番弟子として、黒田さん晩年10年の仕事をなさっていたと言われていたのが関野さんでした。
実家である藤沢に帰省した関野さんは近所で仲良しの甘糟さんの工房へよく寄られたのでした。
甘糟さんの漆の師匠でもあったため、私も自然に関野さんから摺り漆の実際の教えを得ることが出来ました。
酒宴もよくご一緒しました。
関野さん曰く、二日酔いの日はお猪口に水を張りそこに一滴生漆を垂らして飲むと胃がスッキリすると話しておられました。
根っからの漆のヒトでした。
その関野さんが下さったのがこの有道杓子でした。
いただいたものは生地でしたが自分で漆を掛けました。(後半写真、自宅にて)
関野さん自身も白洲正子さんの著作の中で「現代の“漆芸”では一番の人」と評されていた方でしたから、この杓子も白洲さんご自身から教えられた、あるいは譲られたものだったかもしれません。
この杓子は民芸の極致のような物です。
手を掛け、技法を凝らし、精魂込めて造られたものを物造りの最高位であるとするならば、その対極にあるものです。
この杓子は、最小限の手間で、いかに早く、数多く作ることを目的として、作業を効率化した果てに到達してしまった(あえて言いますと)美です。
作為を超えた迫力と清々しさがそこにはあります。
真似しようとして頭で考えて出来るものではないモノなのです。
関野さんからは「こういう美もあるのだ」ということを教わった気がします。
関野さん自身の仕事は精緻を極めながらも作為のない仕事でした。
「無私」とはどういうものなのか?
それを教わったのも、関野さんの作品とそのお人柄に触れることがあったからと感謝もうしあげます。
有道杓子の番組を見てこころ新たにした次第です。
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