日々徒然

創作家具 安藤和夫

奈良の宿、日吉館のおばちゃん!

テレビで昔の映像が流れていた。
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そこには懐かしいおばちゃんの顔が!・・・一気に学生時代にタイムスリップ!
学生の頃「コビケン」という名の旅をしていました、「古美術研究」が正しい名前。

僕が美術家を志していた美学校時代の話。(当時は「現代思潮社 美学校」)
まだまだ美術のビの字も判らんガキの頃のお話です。

奈良に行くと必ずお世話になるのが、東大寺に登る参道の手前にあった古い旅館「日吉館」でした。

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旅館の中には至るところに文人墨客の書やら軸などがかかり、聞けばそれらの著名な方々もまた、若い頃にここを定宿にして歴史やら仏教美術などを探訪して居られたのでした。

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秋艸道人・会津八一氏もその一人。
看板の書も氏の手になるもの。

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宿帳に残るお名前。

古い日本建築の旅館だったのですが、まず食器にビックリ。
薄汚い(と当時は思った、汗)皿や茶碗は割れが入り、補修しているものが多かった。

「金継ぎ」の器で本当に食事をしたのはこの時が初めてでした。

夕飯のメニューは二種類。
「水炊き」と「すき焼き」連泊するとその繰り返しでしたが、とても美味しかったです。

おばちゃんに内緒で持ちこんだ酒を隠れて飲むのもまた楽しかった。

僕らはお金を払って泊まっているのですから客なのですが、おばちゃんから見れば駆け出しの学究の徒、酒なんぞ飲むのは十年早いのです。

朝は思いっきり早く起こされ「早く勉強にいってらっしゃい!」とおばちゃんに宿を追い出されるのです。

奈良の冬は寒く、宿を出てもまだお寺は開いておらず、奈良公園で震える鹿を見ながらこちらも凍えていた記憶が懐かしいですね。

布団の上げ下げや女中さんのような仕事は知的障害者が多く、もっちゃんというお兄さんが番頭さんのようにおばちゃんの手足になり働いていた。

日吉館、その後何度か閉めるという噂が起こり、それを惜しむ方々が会員制にして維持管理している話は「奈良の宿 日吉館」という本にもなりましたね。
でも、もうそれも終わったのでしょうね。

おばちゃん、お世話になりました、本当にありがとう。
テレビで偶然お顔が出てきたときは本当にビックリしました。
日曜美術館の再放送だったようです。

あれから35年、果たして吾は美術の美の字くらいは判るようになったのであらうか?・・・・・
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