日々徒然

創作家具 安藤和夫

「横浜マイスター」のことを書きました。

私の大先輩、佐藤辰雄さんの事を思い出し、資料を探していたら、1981年2月28日の朝日新聞の記事が見つかりました。
DSCN0063 (2)_01
タイトル「現代職人考」当時としては新しいカラー紙面でした。
写真は「膠壺」を使い、ニカワで家具部材を接着している佐藤さんです。
右下の白いビンはホルマリンです。
 この新聞記事、私が横浜元町「竹中」の工場「睦商会」で家具修行真っただ中での取材でしたのでよく覚えています。

 佐藤辰雄さん、経歴を知って唖然としました。
 これは当時の家具職人の出自の一例です。

 佐藤さんは本牧の船を持たない漁師の三男坊として生まれ「口減らしで家具屋に奉公として出された」のだそうです。

 時代の花形としての職業ではなく口減らしで職人なのです!
 職人への社会の認知度はこんなものでした。

 記事は、当時ようやく「手造り」という概念でマスプロではないモノ造りに注目が集まり始めたころでした。

 当のマイスターご本人でさえ、なんで急に自分に光が当たったのか?理解するまで時間がかかったようでした。

 横浜元町でも人口密集地で観光名所であることから、火災の危険も多い木工場へも郊外の工業団地への移転が推進されていました。

 また、世間の量産化の波は家具業界にも当然影響を与えました。
 輸入材を使ったベニヤ板での大量生産&大量消費が主流になり、元町にあった木工業者も業態を変化させつつ、郊外型のマスプロ工場化を指向し、工業団地に転進してゆきました。

 そんな中で、時代の波に乗り遅れた年齢層の高い職人のいる数軒の小規模木工場が取り残されたように元町に残っておりました。
 中島木工さん、後藤木工さん、そして睦商会です。

 今更新しい量産家具に転向するわけにもゆかず、家具職人として余生を細々と繋ごうと思っていた職人に時代の光が当たり始めたのでした。
 それが、この新聞記事であり、その後に起こる「横浜マイスター」という制度でした。

 この項、続く!
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