「細川家の至宝」永青文庫コレクション・・・は凄かった!
東京国立博物館 平成館 での展覧会に行ってきました。
パンフレットにあるこの「鏡」が見たかったのです。
パンフレットにあるこの「鏡」が見たかったのです。
【国宝 金銀錯狩猟文鏡 中国河南省洛陽金村出土 中国/戦国時代・前4~前3世紀】
この獣文、唐草文のような螺旋のような!・・・殷・周からの記憶なのかな?・・・何と言ってもこの螺旋が良い!・・・螺旋!!
前から永青文庫之のコレクションとして知っていたので一度はみたいと濃い焦がれていたのです。
そしてもう一点、強く心を惹かれたのがこれ。
【重要文化財 白釉黒掻落牡丹文瓶 磁州窯 中国/北宋時代・11~12世紀】
なんとも美しい瓶子、骨格のある造形ながら、掻き落としの柔らかなマチエールにより、とても魅力的で身近なものとして感じられました。
しかし、中国のものの骨格って凄いな~!
大変なコレクションでした。
これが細川家という武家の一系統に伝わったものというのが凄いと言うか、どうして?と言うか、この前の戦争で日本は無条件降伏したはずだったのに、・・・何故この家には700年前から伝わる総数八万点ものお宝が残ったのだろう?・・・謎だ!
まあ、経緯はともかく、古美術から絵画、刀剣、陶磁器、果ては宮本武蔵の絵画まで、頭が混乱するほどの量と質。
あ~眼福眼福、ご馳走様でした!
この獣文、唐草文のような螺旋のような!・・・殷・周からの記憶なのかな?・・・何と言ってもこの螺旋が良い!・・・螺旋!!
前から永青文庫之のコレクションとして知っていたので一度はみたいと濃い焦がれていたのです。
そしてもう一点、強く心を惹かれたのがこれ。
【重要文化財 白釉黒掻落牡丹文瓶 磁州窯 中国/北宋時代・11~12世紀】
なんとも美しい瓶子、骨格のある造形ながら、掻き落としの柔らかなマチエールにより、とても魅力的で身近なものとして感じられました。
しかし、中国のものの骨格って凄いな~!
大変なコレクションでした。
これが細川家という武家の一系統に伝わったものというのが凄いと言うか、どうして?と言うか、この前の戦争で日本は無条件降伏したはずだったのに、・・・何故この家には700年前から伝わる総数八万点ものお宝が残ったのだろう?・・・謎だ!
まあ、経緯はともかく、古美術から絵画、刀剣、陶磁器、果ては宮本武蔵の絵画まで、頭が混乱するほどの量と質。
あ~眼福眼福、ご馳走様でした!
- | 2010-05-16 00:05 |
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雨に煙る本牧三渓園!
さがみ工芸会の勉強会でうかがう!
湿った空気感が似合う日本庭園。
霞んだ遠景が効いていて奥行きが感じられます。
数奇屋は軒先ですね。
石の上にひかり付けた束。お見事!
聴秋閣。何時来ても良い建築です。
ここまでしなくとも!と思われる大げさな斗栱(ときょう)が佳いですね。
建築の記憶が込められているようです。
立ち入り禁止で遠くからしか見えませんでしたが、入ったところの敷板は尺角くらいの大きさの四半敷き貼り。
これは敷板を斜めに貼る禅宗などの様式で「よくいらっしゃいました」と誰でも拒まず迎え入れる合図です。
クローズアップ。
これは珍しく木のタイル。板目に使い、木目をうずくりしたものです。材は多分松でしょうか?
普通は敷き瓦が多いですね。
宝珠のカタチが素晴らしく好い!
私が過去に見た中でもトップクラスの美しさだと感じます。
風化して角が取れ、苔むした五輪塔の宝珠も佳い!・・・時の厚みを感じます。
聴秋閣の軒先断面を見ると、薄く一分(3mm)位に割ったこけら板の重なりがよく見えます。上部に桧皮(ひわだ)を貼っているようです。
何処を撮っても絵になります。ここが横浜だとは!
橋の上に設えられた古風な屋根は園内の色々な所から見えます。
風景の中でポイントとして“ケシキ”を演出してくれているようです。
近景・中景・遠景と空気が透けて流れて行きます。
古来からある「金輪継ぎ」で下部の材を入れ替えた修理跡。
中心部に見える長方形の「こみ栓」を打ち込むことで接合部を隙間無く仕上げることが出来ます。
こちらは斜めに継いだ「根継ぎ」。
凝った仕事ですね、ここを仕上げた棟梁の心意気が感じられます。
池から三重塔を遠望する。
池に係留された和船のへりには鳥達が!
見慣れない鳥だが、聞けば「ロシアから・・・」とか!・・・・ソビエトでもシベリアでもないのだ!
何時来ても気付きのある素晴らしい建物群とお庭です。
三渓さん、ありがとう!
このあとは隣接した「隣花苑」にてお食事をいただく。
三渓創案の名物「三渓そば」を組み込んだコースが各種あり、楽しめます。
彩りよく吟味されたたくさんの旬の食材が少しずつ供されます。
三渓そばも大変美味しかったです!
建物も伊豆から移築したものとか!
お料理共々、久しぶりに豊かな時間を過ごすことができました。
隣花苑のご主人は原三渓の曾孫にあたられる西郷槇子さんですが、私は久しぶりにお会いしました。
いつも粋で品があって笑顔がとても素敵でした。
今、槇子さんのお祖母さまのお雛様、つまり三渓さんがお嬢さんのために用意されたお雛様と槇子さんのお雛様が邸内に飾られています。
これが三渓さんが用意されたお雛様。
屏風はこの雛のために前田青邨(まえだ せいそん)が描いたものだそうです。
湿った空気感が似合う日本庭園。
霞んだ遠景が効いていて奥行きが感じられます。
数奇屋は軒先ですね。
石の上にひかり付けた束。お見事!
聴秋閣。何時来ても良い建築です。
ここまでしなくとも!と思われる大げさな斗栱(ときょう)が佳いですね。
建築の記憶が込められているようです。
立ち入り禁止で遠くからしか見えませんでしたが、入ったところの敷板は尺角くらいの大きさの四半敷き貼り。
これは敷板を斜めに貼る禅宗などの様式で「よくいらっしゃいました」と誰でも拒まず迎え入れる合図です。
クローズアップ。
これは珍しく木のタイル。板目に使い、木目をうずくりしたものです。材は多分松でしょうか?
普通は敷き瓦が多いですね。
宝珠のカタチが素晴らしく好い!
私が過去に見た中でもトップクラスの美しさだと感じます。
風化して角が取れ、苔むした五輪塔の宝珠も佳い!・・・時の厚みを感じます。
聴秋閣の軒先断面を見ると、薄く一分(3mm)位に割ったこけら板の重なりがよく見えます。上部に桧皮(ひわだ)を貼っているようです。
何処を撮っても絵になります。ここが横浜だとは!
橋の上に設えられた古風な屋根は園内の色々な所から見えます。
風景の中でポイントとして“ケシキ”を演出してくれているようです。
近景・中景・遠景と空気が透けて流れて行きます。
古来からある「金輪継ぎ」で下部の材を入れ替えた修理跡。
中心部に見える長方形の「こみ栓」を打ち込むことで接合部を隙間無く仕上げることが出来ます。
こちらは斜めに継いだ「根継ぎ」。
凝った仕事ですね、ここを仕上げた棟梁の心意気が感じられます。
池から三重塔を遠望する。
池に係留された和船のへりには鳥達が!
見慣れない鳥だが、聞けば「ロシアから・・・」とか!・・・・ソビエトでもシベリアでもないのだ!
何時来ても気付きのある素晴らしい建物群とお庭です。
三渓さん、ありがとう!
このあとは隣接した「隣花苑」にてお食事をいただく。
三渓創案の名物「三渓そば」を組み込んだコースが各種あり、楽しめます。
彩りよく吟味されたたくさんの旬の食材が少しずつ供されます。
三渓そばも大変美味しかったです!
建物も伊豆から移築したものとか!
お料理共々、久しぶりに豊かな時間を過ごすことができました。
隣花苑のご主人は原三渓の曾孫にあたられる西郷槇子さんですが、私は久しぶりにお会いしました。
いつも粋で品があって笑顔がとても素敵でした。
今、槇子さんのお祖母さまのお雛様、つまり三渓さんがお嬢さんのために用意されたお雛様と槇子さんのお雛様が邸内に飾られています。
これが三渓さんが用意されたお雛様。
屏風はこの雛のために前田青邨(まえだ せいそん)が描いたものだそうです。
- | 2010-02-18 00:16 |
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ヴォーリズという建築家がいた。
「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ~恵みの居場所をつくる」
東京・汐留のパナソニック電工 汐留ミュージアムで開かれていました。
4月4日(土)~6月21日(日)
宣教師として来日したのち、建築家として活躍。
滋賀県を中心に日本中で多数の洋館を設計した人だそうです!
東京・汐留のパナソニック電工 汐留ミュージアムで開かれていました。
4月4日(土)~6月21日(日)
宣教師として来日したのち、建築家として活躍。
滋賀県を中心に日本中で多数の洋館を設計した人だそうです!
僕はあまり知らなかったお名前なのですが、設計した建築の数々を見ると、見知った建築がたくさんありました。
教会や学校などの公共建築もすばらしいのですが、なんといっても彼の真骨頂は、ミニマムな個人住居だと感じました。
彼は「もっと小さな家を建てたらよい・・・」との思いから「九尺二間」という約10坪の家を建てます。
図面や写真などで構成された展覧会だったのですが、会場内にはその実践例が原寸で再現され、自由にその“狭さ”を体感出来るようになっていました。
彼の設計した個人住宅は、西洋建築の様式をふまえつつも、その作り出された空間は情緒に富み、静けさを宿したストイックな世界が不思議にここち良かったのでした。
その後、彼は1923年に日本で「吾家の設計」と題する本を著し、その中でミニマムな文化生活のための20坪の住宅を2例紹介しています。
宗教家のストイシズムとは一味違った感性による最小限の空間はまさしく「豊か」なのでした。
又、予断ですが、この出版年にご注目を!
この1923年と言えば、1925年に行なわれた「パリ万博」、別名「アールデコ万博」の二年前なのですね。
世界は、日本の持つ豊かな文化、特に工芸などの技術力の高さ、表現の豊かさ、装飾性などに感動し、まさにジャポニズム旋風を巻き起こそうとしていた、その時、その現場である日本にいながら、ヴォーリズさんは装飾を排除したこの静かな空間を作り出していたとは?・・・ちょっと面白い!!
その時にはどれほど評価されていたのでしょうか?今という時代でこそ“腑に落ちる”提案なのですが、はたして当時はどうだったのか?やはり変った外国人だったのでしょうか?
「最小限の家」を模索している方にとって、このヴォーリズさんの実践は様々な示唆を与えてくれると思いました。
彼は近江八幡を愛し、メンソレータムでお馴染みの近江兄弟社を立ち上げ、実業家としても活躍されたそうです。
又、ウィキペディアによると、「太平洋戦争終戦直後、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力。「天皇を守ったアメリカ人」とも称される。」・・・だそうです。
ヴォーリズミュージアム
教会や学校などの公共建築もすばらしいのですが、なんといっても彼の真骨頂は、ミニマムな個人住居だと感じました。
彼は「もっと小さな家を建てたらよい・・・」との思いから「九尺二間」という約10坪の家を建てます。
図面や写真などで構成された展覧会だったのですが、会場内にはその実践例が原寸で再現され、自由にその“狭さ”を体感出来るようになっていました。
彼の設計した個人住宅は、西洋建築の様式をふまえつつも、その作り出された空間は情緒に富み、静けさを宿したストイックな世界が不思議にここち良かったのでした。
その後、彼は1923年に日本で「吾家の設計」と題する本を著し、その中でミニマムな文化生活のための20坪の住宅を2例紹介しています。
宗教家のストイシズムとは一味違った感性による最小限の空間はまさしく「豊か」なのでした。
又、予断ですが、この出版年にご注目を!
この1923年と言えば、1925年に行なわれた「パリ万博」、別名「アールデコ万博」の二年前なのですね。
世界は、日本の持つ豊かな文化、特に工芸などの技術力の高さ、表現の豊かさ、装飾性などに感動し、まさにジャポニズム旋風を巻き起こそうとしていた、その時、その現場である日本にいながら、ヴォーリズさんは装飾を排除したこの静かな空間を作り出していたとは?・・・ちょっと面白い!!
その時にはどれほど評価されていたのでしょうか?今という時代でこそ“腑に落ちる”提案なのですが、はたして当時はどうだったのか?やはり変った外国人だったのでしょうか?
「最小限の家」を模索している方にとって、このヴォーリズさんの実践は様々な示唆を与えてくれると思いました。
彼は近江八幡を愛し、メンソレータムでお馴染みの近江兄弟社を立ち上げ、実業家としても活躍されたそうです。
又、ウィキペディアによると、「太平洋戦争終戦直後、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力。「天皇を守ったアメリカ人」とも称される。」・・・だそうです。
ヴォーリズミュージアム
- | 2009-07-11 16:38 |
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MINGEI・民芸・民藝!
「西洋家具の美」ー18世紀の英国を中心にー
東京駒場にある 日本民藝館 で始まった展覧会に行って参りました。
東京駒場にある 日本民藝館 で始まった展覧会に行って参りました。
柳宗悦氏や池田三四郎氏が蒐集した家具たちは実に美しかった。
それは例えて言うのなら「骨格のある美」とでも言ったらよいのでしょうか。
そうだ、これを造りたかったんだ!と過去に思った椅子のホンモノにも会えました。
あれから幾星霜!・・・
私たちの時代は、いつの間にか、マニアックに、表層の“美”に、流れ過ぎてはいないか?
小手先で仕事をしていないか?
問う声が聞こえたような気がします。
だとしたら?
立ち返る場の一つを日本民藝館は提示しているのではないだろうか?と感じました。
この展覧会は~8月16日(日)まで。
久しぶりに民芸館へ来たような気がします。
私のように、自身への問いかけ、時代への問いかけから始まって「物造り」を志した人間が、一度は通り過ぎる「概念」の一つに「無名性」という重い言葉があります。
若き情熱を傾けて物つくりを発願する“個”である自分が、自己完結することだけでは届かない世界があることを知り、そこへ到達するときに避けて通れないものがこの「無名性」でした。
個の実現とその否定?・・・肯定と否定・・・大きな壁が行く手に立ちはだかっていました。
これをどうしたら咀嚼出来るか?・・・悩みながら通った関所のような場の一つが、この駒場にある「日本民藝館」でした。
今改めてホームページに書かれた理念を読む時、果たして私はこれを咀嚼出来たのか?獲得出来得たのか?・・・・・問い続けて行きたいと思います。・・・続く!
以下、 日本民藝館ホームページより転載。
日本民藝館の仕事
民藝館の使命は美の標準の提示にある。その価値基準は「健康の美」「正常の美」にある。美の理念として之を超えるものはない。かかる一貫した美の目標の下に個々の品物を又全体を整理することは極めて重要な仕事と思はれる。云ふまでもなく,かかる標準を最初から理論で組み立てるべきではなく,深く直感に根差すべきなのはもとよりである。ここで民俗博物館との差異が起る。後者は直感に基く美的価値を中心とする美術館ではない。民藝館は単なる陳列場ではない。
従つて列べ方も事情の許す限り物の美しさを活かすやうに意を注いである。品物は置き方や,列べる棚や,背景の色合や,光線の取り方によつて少からぬ影響を受ける。陳列はそれ自身一つの技藝であり創作であつて,出来得るなら民藝館全体が一つの作物となるやうに育てたいと思ふ。とかく美術館は冷たい静止的な陳列場に陥り易いのであるから,もつと親しく温い場所にしたいといつも念じてゐる。 初代館長柳宗悦「日本民藝館案内」より。
それは例えて言うのなら「骨格のある美」とでも言ったらよいのでしょうか。
そうだ、これを造りたかったんだ!と過去に思った椅子のホンモノにも会えました。
あれから幾星霜!・・・
私たちの時代は、いつの間にか、マニアックに、表層の“美”に、流れ過ぎてはいないか?
小手先で仕事をしていないか?
問う声が聞こえたような気がします。
だとしたら?
立ち返る場の一つを日本民藝館は提示しているのではないだろうか?と感じました。
この展覧会は~8月16日(日)まで。
久しぶりに民芸館へ来たような気がします。
私のように、自身への問いかけ、時代への問いかけから始まって「物造り」を志した人間が、一度は通り過ぎる「概念」の一つに「無名性」という重い言葉があります。
若き情熱を傾けて物つくりを発願する“個”である自分が、自己完結することだけでは届かない世界があることを知り、そこへ到達するときに避けて通れないものがこの「無名性」でした。
個の実現とその否定?・・・肯定と否定・・・大きな壁が行く手に立ちはだかっていました。
これをどうしたら咀嚼出来るか?・・・悩みながら通った関所のような場の一つが、この駒場にある「日本民藝館」でした。
今改めてホームページに書かれた理念を読む時、果たして私はこれを咀嚼出来たのか?獲得出来得たのか?・・・・・問い続けて行きたいと思います。・・・続く!
以下、 日本民藝館ホームページより転載。
日本民藝館の仕事
民藝館の使命は美の標準の提示にある。その価値基準は「健康の美」「正常の美」にある。美の理念として之を超えるものはない。かかる一貫した美の目標の下に個々の品物を又全体を整理することは極めて重要な仕事と思はれる。云ふまでもなく,かかる標準を最初から理論で組み立てるべきではなく,深く直感に根差すべきなのはもとよりである。ここで民俗博物館との差異が起る。後者は直感に基く美的価値を中心とする美術館ではない。民藝館は単なる陳列場ではない。
従つて列べ方も事情の許す限り物の美しさを活かすやうに意を注いである。品物は置き方や,列べる棚や,背景の色合や,光線の取り方によつて少からぬ影響を受ける。陳列はそれ自身一つの技藝であり創作であつて,出来得るなら民藝館全体が一つの作物となるやうに育てたいと思ふ。とかく美術館は冷たい静止的な陳列場に陥り易いのであるから,もつと親しく温い場所にしたいといつも念じてゐる。 初代館長柳宗悦「日本民藝館案内」より。
- | 2009-07-01 00:05 |
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仏像修復の現場!
さいたま市にある古文化財保存修復研究所を訪問してまいりました。
この研究所は、5月に長野市で開催された【木工家の仏壇と祈りの箱展】 ー善光寺ご開帳記念ーにてご一緒させていただいた長井武志氏が主宰されています。
この研究所は、5月に長野市で開催された【木工家の仏壇と祈りの箱展】 ー善光寺ご開帳記念ーにてご一緒させていただいた長井武志氏が主宰されています。
長井氏は、東京藝術大学大学院で西村公朝氏の下で保存修復を学ばれたのち、現在地に古文化財保存修復研究所を設立された方です。
畳の部屋にはいたるところに修復途中の仏様が!
上の写真で横たわっているお仏像の頭部。
ボリュームのある表現はリアル。
頭部をはずした坐像は、過日、アユタヤに旅した時に見た、異教徒によって頭部のみ破壊された仏像を思い起こさせました。
坐像を解体し、構造を教授してくださいました。
中が空虚なのに、なんだ、この存在感は?
胸と頭部は一木で造り、後に胸の下あたりに鑿を入れて割るという技法で作られているそうです。
ご説明される長井氏。
古い時代の修復であるのですから、“経験と技術”が問われるのは理解できるのですが、創作の余地はない地味なお仕事だと思っておりましたら、「誰がそれを直したか?個性が出る!」というお話は興味深かったですね。
真摯で誠実なお人柄ながら、秘めた情熱を感じることが出来ました。
室町のほとけさま。すばらしいお顔。
ひざの辺りに漆で盛り上げた唐草文様がありました、きっとこの上には金彩が施されていたのでしょう。
平坦部には截金(きりかね)が鮮やかに残っていました。
急逝された江利佐代子さんを思い出しました。
光背の飛天におわすのは迦陵頻迦(かりょうびんが)でしょうか?
「随分金彩が残ってますね?」とお尋ねしたところ「江戸期あたりの後補でしょう」とのことでした。
これらの修復が終わり一体としてまとまったら、さぞかし壮麗な、浄土のような仏様になるのでしょうね。
この装飾、いまだに「どういう技法で造ったのか?」確定していないのだそうです。
「どうやったと思います?」と聞かれてしまいました。
私見:「パスタのように、漆と木粉やらを堅めに練ったものを文様に置いて造形し、漆液をあとからのせて定着したのではないか?」・・・・おおむね、皆さんも同様の見解のようです。
古物を観る右、長井氏、左、谷氏。
この小像は、長井氏が学生のときに模刻されたという奈良聖林寺の十一面観音像の木芯乾漆の芯木模型、これでこの像の正確な構造が分かります。
その向うに床に横たわっているのは、ナントそこから起してお造りになった原寸像だそうです。
表面を仕上げて金箔などで彩色し、金物などで荘厳すれば出来上がり、見事なものです。
長井氏はこの漆の技法である「乾漆」の専門家でもあります。
ちなみにあの阿修羅も「乾漆」の一種「脱活乾漆造(だつかつかんしつつくり)」です。
氏は修復だけでなく作品もお造りになっておられます。
「もったいない、仕上げて飾りましょうよ!」・・・・あとはスポンサー探しですかね?
どなたかこのお像を置けるところ知りませんか?
ここには書ききれませんが、私にとって、大変実りのある場でした。
お忙しいところご丁寧なご説明をいただきました。
長井さん、本当にありがとうございました。
今回の訪問は、先の長野の展覧会にお招きくださった小諸在住の谷 進一郎氏のお誘いで実現したものです。
今回も学びの場にご一緒させていただきました。感謝です。
谷氏は池田三四郎氏が主宰された、あの伝説の「松本民藝生活館」で修行後、天池で独立された木工家です。
やはり長野でご活躍の木工家丸山氏も同行されました。
ご参考、拙ブログ:青山二郎氏との思い出を語る桜井佐七氏。
畳の部屋にはいたるところに修復途中の仏様が!
上の写真で横たわっているお仏像の頭部。
ボリュームのある表現はリアル。
頭部をはずした坐像は、過日、アユタヤに旅した時に見た、異教徒によって頭部のみ破壊された仏像を思い起こさせました。
坐像を解体し、構造を教授してくださいました。
中が空虚なのに、なんだ、この存在感は?
胸と頭部は一木で造り、後に胸の下あたりに鑿を入れて割るという技法で作られているそうです。
ご説明される長井氏。
古い時代の修復であるのですから、“経験と技術”が問われるのは理解できるのですが、創作の余地はない地味なお仕事だと思っておりましたら、「誰がそれを直したか?個性が出る!」というお話は興味深かったですね。
真摯で誠実なお人柄ながら、秘めた情熱を感じることが出来ました。
室町のほとけさま。すばらしいお顔。
ひざの辺りに漆で盛り上げた唐草文様がありました、きっとこの上には金彩が施されていたのでしょう。
平坦部には截金(きりかね)が鮮やかに残っていました。
急逝された江利佐代子さんを思い出しました。
光背の飛天におわすのは迦陵頻迦(かりょうびんが)でしょうか?
「随分金彩が残ってますね?」とお尋ねしたところ「江戸期あたりの後補でしょう」とのことでした。
これらの修復が終わり一体としてまとまったら、さぞかし壮麗な、浄土のような仏様になるのでしょうね。
この装飾、いまだに「どういう技法で造ったのか?」確定していないのだそうです。
「どうやったと思います?」と聞かれてしまいました。
私見:「パスタのように、漆と木粉やらを堅めに練ったものを文様に置いて造形し、漆液をあとからのせて定着したのではないか?」・・・・おおむね、皆さんも同様の見解のようです。
古物を観る右、長井氏、左、谷氏。
この小像は、長井氏が学生のときに模刻されたという奈良聖林寺の十一面観音像の木芯乾漆の芯木模型、これでこの像の正確な構造が分かります。
その向うに床に横たわっているのは、ナントそこから起してお造りになった原寸像だそうです。
表面を仕上げて金箔などで彩色し、金物などで荘厳すれば出来上がり、見事なものです。
長井氏はこの漆の技法である「乾漆」の専門家でもあります。
ちなみにあの阿修羅も「乾漆」の一種「脱活乾漆造(だつかつかんしつつくり)」です。
氏は修復だけでなく作品もお造りになっておられます。
「もったいない、仕上げて飾りましょうよ!」・・・・あとはスポンサー探しですかね?
どなたかこのお像を置けるところ知りませんか?
ここには書ききれませんが、私にとって、大変実りのある場でした。
お忙しいところご丁寧なご説明をいただきました。
長井さん、本当にありがとうございました。
今回の訪問は、先の長野の展覧会にお招きくださった小諸在住の谷 進一郎氏のお誘いで実現したものです。
今回も学びの場にご一緒させていただきました。感謝です。
谷氏は池田三四郎氏が主宰された、あの伝説の「松本民藝生活館」で修行後、天池で独立された木工家です。
やはり長野でご活躍の木工家丸山氏も同行されました。
ご参考、拙ブログ:青山二郎氏との思い出を語る桜井佐七氏。
- | 2009-06-29 18:04 |
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